今日はなんと、テンチョーコバヤシの誕生日前日というのを差し置いて
感慨深い日となっております。
今まで何も書かなかったのはそれは私だけのことではなく、相手の方が
いらっしゃったので控えていました。
そしてそれはすでに過ぎたこととなり、私も普通の生活が送れるように
なったので、そろそろ吐露しても良いかと思い、更新することにしました。
ちょうど1年前の今日、あの3月の東日本大震災以上の命の危険を
感じました。
車同士の衝突事故で頚椎捻挫などで2ヶ月間の完全休業することに
なったのです。
昨年の5月からその時まで、慣れない新規業務に追われ、
そろそろ連休を取りたいなと思っていた矢先でした。
私は整体業を主にやっています。人のために何か役に立ちたくてこの仕事を
選んだのに、形はどうあれ人様を傷つける立場になってしまったことにまず
気が動転してしまいました。
さらに、自分の出張エリアでの事故・・・。
衝突の瞬間、前方のエアバッグが2つ飛び出した時点で
「この車終わった・・・」と思ったと同時に「仕事も終わった・・・」と
思いました。
その時は痛いのなんかはありません。
「商売やめて引っ越さなきゃいけなくなるかも・・・。」とも思いました。
自分は動けたのですが、気は動転するばかり・・・。
自分のここ(は踏ん張らなきゃいけない)ぞという時にチキンな部分が出て
しまいました。
救急車を呼ぶので精一杯でした。
仕事帰りだったので、タオルはいっぱいあったから相手の人に
かけてあげればよかったとか、座席から落ちた荷物を拾ってあげたら
よかったのになど、後で考えるともっと冷静になれなかったこと
が悔やまれます。
救急車に乗るよう促され横になって少し落ち着きました。
ただ、まだ痛みは感じず、心の整理をつけることが優先されました。
「明日の仕事はとりあえずキャンセルの連絡をしなきゃ」とか
「後の予約のお客様にはどうやって連絡しよう」とかその段取りを
考えていました。
救急車が病院に向けて発車してからは心身ともに打ちのめされたことで
気がおかしくなったと思われたのかもしれないが、一人でニヤニヤして
いた。それは・・・
「こんなことがないと私は休むことができないのか・・・。」
という思いからでした。
私は、「私にはもっと何かできるはず。」「もっと働くべきだ。」
という心でこの7年半まるでマラソンのようにこの不慣れな土地で
必死で営業してきました。
頑張っても頑張っても「これで十分じゃないかな」と満足を感じること
も無く、自分で言うのもなんだけど、本当に一生懸命やって来たんです。
そしてこのタイミングで生涯で初めての交通事故・・・。
きっと休むべきときだったんですね・・・。
次の日から起き上がれないほどの激痛が10日ほど続きましたが、
強制休業となり、肩の力は抜けていきました。
そして、痛みが引いていくのと同じ時間軸でお客様からの電話をお断り
しなければならない日々が始まりました。
それはおろし金で下ろされるチーズのように心が削れていく感覚に苛まれ
ました。
今までほとんど仕事を断ったことが無い私から仕事を取り上げたら
何の役にも立たないということを再認識した瞬間でした。
お断り慣れすることもなく、事故後初めて仕事ができないつらさから声を
上げて泣きました。
それからはちょっとスッキリしました。
しばらく実家にお世話になりながら療養を始めたのは11月~。
初めは先生も手のつけようが無いと困っていましたが、年が明け5月頃
ようやくお客様にも「力が戻ってきたね」と言われ、回復を実感できる
ようになりました。
おかげさまでお店のお客様も戻ってきてくださって・・・
感謝の言葉しかありません。
こうやって無事に営業できるのはお客様のおかげ。
そして、私がこんなことになって休業したにもかかわらず、ほぼ全員が
「ちゃんと治してから戻っておいで」と言ってくださったのもお客様でした。
営業しているときも休んでいるときも支えてくれたのはまさにお客様でした。
今回の事故で一番大きく認識できたことはそのことでした。
事故前は1年のうち315日間働いていました。
しかし、回復後の生活はお休みの多い営業に変更になりました。(週休2日)
力を使う仕事ですので、長くやっていくためにやり方を変えたのです。
勇気が要りましたが、お客様はご理解くださいました。
これからはそんなお客様を裏切ることなく、気をつけて営業していこうと
思います。
昨年の誕生日プレゼントは「いのち」でした。
明日の誕生日もまだ生きていていいんだよね・・・。
普通の生活を送る難しさと大切さが身にしみた1年でした。
これからはツイッターをよく更新していきます。
@cafegreenbellで探してみてください。
ブログもたま~に更新する予定です。