備えのつもりで用意した衣服はまるで役に立たず、古着屋に持っていって
換金した分を災害募金に充てようと思います。
自分が考えうる出来ることはしなきゃと強く思っています。
テンチョーコバヤシです。
前回の続きです。
携帯電話で停電したとわかり(信号機の電気が消えていた)茂原からの帰りに
とっさに松屋に寄って弁当を買い、ドキドキしながら家に帰ってきました。
困ったのはテレビがつかないので、情報が入ってこないこと。
まだ明るかったので、取り急ぎ家にあるラジオとあるだけの懐中電灯を
集めて、ろうそくも準備。
携帯電話をそばに置き、17時半頃にようやく遅い昼食をとりました。
暗くなってしばらくするとメールが入ってきていました。
友人や親戚が心配してくれたのでした。(本当にありがとう)
津波警報が出ているのは知っていましたが、町内の防災サイレンも
鳴らないし、もちろんラジオ以外、目に見える情報も入ってこない。
やることもなくなり、寒くなる前に布団にもぐって早めに寝てしまいました。
夜中2時ごろ”ブ~ン”という音と共に電気が復活したことに気づき、
目が覚めました。
さっそくテレビをつけたら、もう眠れなくなってしまいました。
(見なければよかった)
あまりの被害の大きさにどうなっているのかを理解するのに時間が
かかりました。
メールで「早く逃げろ!」と言っていたのはこのことだったのかと・・・。
メールをただ確認して寝てしまったことを思い出すと、
自分のおめでたさとバカさで「私って・・・」と思ってしまいました。